「〇〇ちゃんは歩けなくていいね」の台詞ってどうなの?
おはようございます。猫ママです\(^o^)/表題、のっけから、衝撃的でしょ。
いえ、私が言われた訳ではないのです。Twitterだか、ブログだか忘れたが、先輩ママが言われた台詞。
衝撃的過ぎて、忘れられない。歩けなくていいねって言う、その神経が。
歩けなくて、歩いて欲しくて頑張ってリハビリを受けさせてる親からすれば考えられない発言よ。
ただ、そう思う気持ちが分からなくもない。元気な知的障がい児のお子さんを持つママの大変さ、私、沢山見てきたから。
母子通園している療育先で、腰を浮かせて座っていたら、(ウ〇コすわり)いきなり子供がやって来て、両肩をどんって押された。
尻餅をつく、猫ママ。しばし思考停止。え?何された今?
子供は何も言わず、たたたたーって走り去り、慌ててその子のママが平謝りに来た。
「すいません、大丈夫ですか?」
「はい。」
すいません、を繰り返し、子供の後を追っていった。
また、ある日。療育先で、おかとボールプールに埋もれていると、元気な子が勢い良く入って来てあやうくおかが、踏まれる所だった。
その時も、ママが慌ててやって来て平謝り。元気なお子さん、ボールプールで縦横無尽に動き出したので、危険!と思いおかを抱え、避難した。
ママは、すいませんすいません、って何度も言っていた。
「〇〇ちゃんは歩けなくていいね」の台詞。自分の子供が、人様に迷惑をかけてしまう、可能性。
確かに歩けない子供は、いいねって言ってしまうの分かるなーって思ったの。
知的障がい児も肢体不自由児も両方持つ、パワフルな先輩ママが言っていたのを思い出した。
「車椅子に乗っていれば、皆優しいのよ。世間は。でも知的の子にはね、冷たいのよ、世間の目が。」
「車椅子の子はね、動けないから車椅子に乗っててもらえばいい。だけど知的の子は待っててっつっても待っててくれない。どっか行っちゃう。誰か見てなきゃ」
大変さの違い 肢体不自由児は介護が大変よ
よく、肢体不自由児のママと話す。
「もうこのサイズで止まって欲しい。」
動けない子供の場合、介護が大変。毎日、子供を抱えることで、筋肉が付いた。おそるべし。
車に乗せる時にも、部屋移動の時も、お風呂の時も抱えないといけない。今はまだ特別鍛えていないけれど、いつか鍛えないとダメなのかな…
リハビリ入院で知る。肢体不自由児の親は身体を、鍛えている
鍛えるなんてさー、学生時代、体育万年2、たまにまぐれで3の猫ママには、ホントに苦痛。
猫パパには「ごろん族」って言われてるくらいなのに、、、。
いつか大きくなった時に、果たして持てるんだろうか?という疑問。
そんな先行き不安を、リハビリ入院中に、先輩ママに聞いてみたことがある。もうお子さんはだいぶ大きな男の子で、高校生くらい。筋肉を付けたい、と言っていた。
まず、食べ物が、ほぼタンパク質だった。
先輩「年を取るほど筋肉は衰えてくるんだからさ、今必死で鍛えているよ。この子は施設に入れるんじゃなくて、出来るだけ私が面倒みたい」
猫ママ「やっぱり、大変ですか?」
先輩「そりゃあね。でも自分で面倒みたきゃ鍛えるっきゃないよ。」
世間の中高校生の親が、子供の受験に向けて頭を悩ませている頃、肢体不自由児の親は身体を鍛えているのだ。
また、リハビリ入院中に車椅子の女の子を持つママが、スポーツウェアを着て筋トレしているのを見たこともある。
猫ママも、いつかはそうしないといけないのかもしれない…。つか、もう今からちょっとずつ、やるべき?