こんにちは\(^o^)/猫ママです。
あー眠い。最近の気温差で体調を崩しそう。辛み。
今日は、忙しくて、お家ジプシー記事は明日更新します。ゴメンナサイ。
なので、今日は書きためておいた記事を更新します。
ズバリ、障害受容について。
猫ママ、最近、論文を読んだ。で、まぁ長いのね。それを完結にまとめたのが、今日の記事。
私は、おかの病気も障がいも、受け入れているつもり。周りのママを見ていても、基本明るい人が多い。
私も、日々大変だけど、もう健常児を見ても心が動かない。次元が違う。歩く人生も場所も。
でもね、その論文を読んで、慢性的悲哀って文字を見た時は、なるほど!と思った。
今日は、そのお話。
あ、でも心が元気な人だけ読んで下さい。ここで、元気のない人はストップ、ストップしてね。
障害児親の段階的受容とは?
以下、障害児親の段階的受容説です。
猫ママのその時の心境を、一緒に書いています。
ショック
「嘘でしょう?そんな数万人に1人とか。信じられん。」
否認
「いや、まだ大丈夫。赤ちゃんだし。成長は未知数」
悲しみと怒り
「もう、歩くのは、正直難しいだろう。知的障がいも否定出来ない(ToT)」
適応
「もう、この子はこれでよし。幸せであれ。」
再起
猫ママ的には、今は適応の段階だと思うの。
猫パパは、どうなんだろう。猫パパは、もうずーっと受容の段階な気がする。
まぁ、ショックはあったと思うけど。私みたいに取り乱したりしたの、見たことない。
男親って、そういうもんなの?
障がい児親の慢性的悲哀
段階説より、こっちのほうが、猫ママ的にはしっくりくる。
障害児ママの慢性的悲哀説。
人間、慣れるし、子供は可愛いし、ずっと立ち直れないってことはないと思うんだよね。
ただ、就学の時、進学の時、社会人になるとき、この悲哀が子供の成長の都度、出てくる。
ってなことが、書いてあった。
ものすごーく分かる。
分かり過ぎて胸が痛い。
![](https://nekoyamasanchi.com/wp-content/uploads/2019/06/7c7695feadf3005d4fadfc9913980203.png)
リハ入院した時の、先輩ママたちの深刻そうな、表情。
いつも表面に現れるワケではない、けど成長ごとに問題は出てくる。
その都度、悩んだり考えたり。そして、迷って、立ち止まって。
私もまた、潜伏してるような痛みが、表面に出てくる時もあるんだろうな。
それはまさに、慢性的悲哀だわ。
障がい児ママは明るい人が多い
これは、賛否両論あるかもしれないけど、、私が関わる障がい児ママたちは基本明るい人が多い。
あ、でも私が関わるのは肢体不自由児のママ達がほとんどだけど。
何でなんだろうね。
明るくていい人が多い。
本当に。
そして、福祉に対して市に申し入れをしていたり、児童ディを立ち上げたり、バイタリティがある。
凄いなぁ。マネ出来ないなぁと思う。
きっとこの段階までくると、障害受容段階説の、再起なのか?
再起。再び立ち上がる。
私は、上がったり下がったりするけどなぁ。やっぱり段階説より、慢性的悲哀、だよなぁ。
うーん。
何だかまとまらなくて、ごめんなさい。
ただ、慢性的悲哀が、分かりすぎる!ってことを書きたかったんだ。
では、また明日\(^o^)/
最後までお読み頂きありがとうございました(ΦωΦ)