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多系統萎縮症ブロガー紺美さんの安楽死

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こんばんは(^o^)猫ママです。

私は自分の子供が、難病を持って生まれてきてから色んな病気の方のブログを読みました。

そこで、知る、沢山の病名。

難病って300以上あるんだよね。

そのうちの一つが、わが子、おかの病気。

おかは、生まれつき、歩くことが出来ない。

いつまでも、柔い身体。

だけど、健常者がある日突然、難病患者になったら…そういう方たちのブログもいくつか読んでいた。

難病は、私にとって他人事ではない身近なこと。

だから、子供、大人問わず、色んな難病患者のブログを読んでいる。

特に気になったのは、多系統萎縮症、脊髄小脳変性症やALSの方のブログだ。

わが子とはまた違う場合で、成人した方が徐々に身体の機能を失う病気になったら…

最初からないのと、途中から失われるなら後者の方がキツいと思う。

大人視点の障がい者のブログが読んでみたかった。

その中の一つ、紺美さんのブログ。

今日は、愛読していたブログの話。

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紺美さんのブログに出会ったのは二年くらい前

紺美さんのブログは、多系統萎縮症の患者さんの中では有名なんじゃないかな。

特定疾患のブログ村のランキングでは、常に上位にあり、目に止まりやすかった。

文章も上手で、難病患者さんなのに、明るく日々を綴っており魅力的な文章を書く人だった。

頭もいい方なんだろう。

私は、二年くらい前から読者になり、更新を楽しみにしていたが、去年の11月を最後に更新が途絶えていた。

病状の悪化かなと思っていた。

それが、昨日、12月28日にブログが更新された。

とても、久しぶり!と思い、ブログを見ると…書いているのは、紺美さん本人ではなく、お姉さんだった。

紺美さんのお姉さんのブログ更新

以下、引用。

せっかく妹が遺してくれたこのブログを介して、見て頂いた方々に、お礼を伝えたいと思う気持ちになりました。

「本当にありがとうございました」

多系統萎縮症がパートナーになっちゃったより引用

文章に出て来る、妹の遺したブログ、の文字…紺美さん、亡くなったのか?と私はそこでビックリした。

そして、最後まで読んで、紺美さんはスイスで安楽死をしており、その様子をNHKが密着取材して放映していたことが分かった。

昨日の午後15時5分に、密着取材の番組「彼女は安楽死を選んだ」が放映されたが、それは6月に放送された番組の再放送だった。

紺美さんは、最後のブログの更新に、ちょっと中座致します。と書いてあって、療養所みたいな所へ行くともあって…今思えばそれは、スイスだったんだな…。

11月。

紺美さんは、去年の11月末に、スイスで安楽死をしていたのだった…。

私は、昨日、食い入るようにその番組を見た。

以下、関連URL。

「安楽死を遂げた日本人」に密着 私たちに問いかけたこと
「映像が目に焼きついて眠れなかった」……NHKには放送翌日までに約300件もの感想が視聴者から寄せられたという。NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』(6月2日放送)は、スイスで安楽死を遂げ…

スイスでの安楽死にかかる費用

日本では、安楽死が法的に認められておらず、海外へ渡るしかない。

海外でも、外国人の安楽死を受け入れているのはスイスのみだそうだ。

渡航費用込みでかかる費用は、150万円〜200万円。

日本で、安楽死は法的に認められていないから、遺体は日本に持ち帰ることが出来ないらしい。

紺美さんの遺灰もスイスの川に流された。

安楽死をしたいという希望があっても、条件がある。

1、耐えがたい苦痛がある。
2、回復の見込みがない。
3、代替治療がない。
4、本人の明確な意思がある。

紺美さんは、まだ話すこともゆっくりだったが可能だったし、もし日本で安楽死が許されているなら、もっと遅くても良かっただろう、とスイスの医師に言われていた。

彼女がスイスのライフサークル(自殺幇助団体)に登録したところ、数カ月先まで予定は埋まっていた。

彼女は、それでは自分の病気を考えると遅すぎると言っていた。

病気が進行し、スイスに渡れるか分からなくなる。

だが、病身の彼女が、スイスに渡れるギリギリの段階で、たまたま安楽死希望者が亡くなり空きが出来て彼女の番が回ってきたらしい。

彼女は、呼吸器も胃瘻もいづれ必要になり、動けず喋れなくなる身体になる未来に耐えられないと言っていた。

自分が自分であるうちに、この世からいなくなりたいと。

確かに、想像するだけで怖い話である。

一方で、番組では、同じ病気の人でもそれを受け入れて生きようとする人にもスポットライトが当てられていた。

生き方は、人それぞれ。

印象的な言葉

紺美さんは、確かに、日本で安楽死が許されていたならもう少し長く生きようとしたかもしれない。

だが、彼女は、順番が回って来てそれを断って次まで待って手遅れになることが怖いと言っていた。

病状が進んで、スイスに行けなくなったら…彼女の希望は閉ざされてしまうのだ。

動けない身体で、彼女は自殺未遂を3度して、失敗している。

辿り着いたのが、スイスの安楽死という道だ。

彼女の願いが切実だったことが伺える。

彼女のスイス行きには、お姉さんが二人ついていた。医師から、二日間よく考えて気が変わったら言って欲しいと告げられる。

二人の姉は逡巡したが、

「人間なんていつ死んでも今じゃないような気がするの」

と彼女は語る。

この言葉が、印象的だった。

紺美さんのブログで、色々考えさせられ、また私は子のことを思う。

難病と言っても違う病気だけれど。

今日は、しんみりしたブログになってしまった。

紺美さんのご冥福をお祈り致します。

本日も最後までお読み頂きありがとうございました(ΦωΦ)

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